幽霊の正体見たり枯れ尾花

というのは調べてみると、江戸時代の元禄年間から天明年間に生きた横井也有(よこい やゆう、1702-1783)の『鶉衣(うずらごろも)』という俳文集にある「化け物の正体見たり枯尾花」が変化して現代まで伝わった言い回しらしい。

この慣用句の意味は今更説明するまでもないが、少々穿って、勝手に深掘りさせてもらうならば、知らない物を恐れる人間の本性あるいは本能を良く表しているように思う。知らない物を恐れるのはサルがニンゲンに進化し生存し続けるために獲得した能力の一つであって、これを否定することは難しい。どうしたって「知らない物は怖い」わけだ。さらに言えば、ニンゲンは未来予知と言えるほどの洞察力も獲得したけれど、「予知出来ない事象」も広義には「知らない物」なので洞察力の限度を超える事象はやはり怖い。暗闇は怖いし、一歩先が高さの分からない崖っぷちであればやはり怖い。

一方で文字を発明して時空を超えて知識を伝播する能力もニンゲンは獲得したのだから、知ろうとさえ思えば、古今東西、かなりのことを知ることが出来るようになった。現実の世界とは別に、脳内に知識で構築された現実世界より広大な世界、仮想現実と言っても良い、を認識している。人によっては平安時代の人々の有り様をつぶさに語れるだろうし、行ったことも無い南極大陸に思いを馳せることもできる。あるいは複雑なコンピュータプログラムが組み合わされているシステムについて顧客に詳しく説明できる。現実世界では単なる電気信号でしか無いのにも関わらず!、である。

平安時代について自分はつぶさに語ることは出来ない。その時代に生きた人の名前や、その人が成したことについて多少の知識はあるけれど。あるいは南極大陸について『よりもい』で描かれた程度のことしか知らない。いや、もう少しWikipediaで読みかじった情報はあるにせよ、昭和基地でひと冬過ごしたことのある人にはかなう訳がない。つまり「知っている」は二値ではなく「どの程度知っている」というアナログな指標で、どのぐらい知っているか・理解しているかというメタ認知も併せて、それらは「解像度」と呼んでも良い。

このことを前提にここ数日起きている世の中の動きを考えるに、起きている事象やその背景についての知識が多く正しく理解している人は高い解像度を以て「プーチンが悪い」と言える一方で、そうでない人は「ロシア人は悪い」となってしまい「悪いロシア人もいる」という論理的に正しい結論に辿り着けない。そういう人はウクライナ人が料理長を務めるロシア料理の店の看板を蹴っ飛ばしてみたりするわけだが、とどのつまり「解像度が低い」だけのことだ。

幽霊の正体を知り、高い解像度で、正しく恐れたいと思う。

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