Wed. 2001.04.11

あらゆるモノには「名前」があり、ヒトの内的世界において「名前」のないものは、現実世界を定義できません。概念をgrabすることができる反面、名詞を覚えることのリスクは、概念の「雲」の辺縁を捉えずに、捉えたつもりになってしまうことです。この日記で略称を用いるときに、必ず略称の語源を併記するのは、日本語を母国語とする私には略称のままでは覚えにくく、語源を覚える方が簡単であるためです。例えば、ARPはAddress Resolution Protocolの略ですが、こうなれば「住所解決規約」という日本語の個々の単語の表す意味で、略称全体を捉えることができます。もちろん、これでARPという概念をちゃんとgrabできたかどうかという問題が解決したわけではありませんが。

自慢ですが(笑)、小学校の通知票は5を沢山もらいました(もちろん5段階評価ですよ)。が、小学5年生の時だけは5が1つも付かなかった学期があります。担任に嫌われたためですが、特に恨むでも無く、「バカはどんなに歳を取ってもバカなんだなぁ」と悟りました。私が思うところでは、1学期に下らないことで担任と言い合いをしたことが原因かと…。下らないことというのは、理科のテストで方位磁石と書くべきところを、コンパスと書いたらバツをもらい、猛然と抗議しても認められなかったということです。あれがマルなら100点だったのに(笑)。まあ猛然と抗議したあたり、まだ私も青かったなと(笑)。

つまり、アレは方位磁石でもあったしコンパスでもあったのに、担任にとっては方位磁石でしかなかったわけです。

言葉を知り、その意味を知るということはどんな意味においても決して無駄なことではなく、そのことをきちんと理解していると思うからこそ、私自身は資格検定の勉強をし続けるわけです。直接、勉強したことが役立つことだけではなく、それらの概念の集合がバックボーンになることが多いからです。生きることは知ることです。