昨日に引き続き、コラム。そういえば、何でMac使いの四駆乗りはこの話題に触れていなかったんだろうと思うような話題。
遠い将来、ある国の教科書。
「1989年6月、政府は、天安門広場に集まった民主化を要求する学生・労働者を武力で弾圧しました。東西冷戦が終結を迎えていたこの時期、ソビエト連邦の崩壊などに刺激された一部の反国家主義者による犯罪を取り締まったものですが、この事件によって、我が国の民主化は20年は遅れたと内外から批判をされました。また、1990年代にも法輪功と呼ばれる宗教団体の活動を厳しく取り締まった結果、欧米を中心とする帝国主義国家の内政干渉によって、北京オリンピックの開催を妨害されましたが、我が国では現在でもチベット独立運動の活動家を投獄し、ひとつの中国であることを堅持し続けています。」
こうやって書くの? 他国の教科書に突っ込む前に、その教科書や教材の多様性すら存在しないことが異常なことだって気付けよ。それと日本の外務省。いい加減、謝礼外交をやめろ。日本という国が軍事的・政治的にいかに成熟していないかが良く分かるけどさ。
何故、このタイミングでこの話題かというと、今朝の新聞でネットカフェとかを中国が取り締まるって記事を読んだから。馬鹿じゃないの、中国の首脳部って(笑)。ネットが広がっていくのは歴史の必然なのに、そのことに気付いてない。かつて衛星放送が東ヨーロッパ諸国を資本主義・民主主義に導いたように、ホントの意味で人が個々人としてネットに参加して、自分の意見や主義主張、創作活動とかを全世界に発信できるという、この時代の転換点に気付かないのかしら?
これからは、国家、民族、性別、年齢、こういったあらゆる区別が意味を成さなくなりますね。プログラミングのメーリングリストに小学生が参加していて気付かないことだってあるんだから(笑)。